彼は1961年にアメリカ合衆国の大統領に就任し、世界的危機であったキューバ危機の回避を筆頭に、さまざまな功績をあげてきた人物です。
ですが1963年11月22日、パレード中の彼は凶弾に倒れてしまいます。
当初犯人とされたのは、リー・ハーヴェイ・オズワルドという人物です。彼は17歳の時に海兵隊に入隊。しかし、海兵隊除隊後に彼はソ連に亡命します。その後、アメリカに帰還したオズワルドはパレード中のケネディ大統領を狙撃。ケネディ大統領暗殺事件はオズワルドの単独犯というのが発表された内容です。
ですが、オズワルドは逮捕直後、記者団などに「自分は身代わりにされた」「嵌められた」などと地震の潔白を主張します。また、その際にオズワルドの顔面には無数の傷があり、この傷は警察に殴られたものによりものだとも語っています。
オズワルド逮捕から2日後、刑務所へと移送される車に乗る直前に、彼はジャック・ルビーという男に射殺されてしまいます。これによって、ケネディ大統領暗殺事件の全貌は闇に消えてしまいました。
このケネディ大統領暗殺事件はいま現在、多くの謎に包まれている事件です。その理由はもし本当にオズワルドが犯人だったとしたら、不可解なものが多すぎるという点にあります。
いくつか挙げてみると、
- 事件当時オズワルドはケネディ大統領の後方にいたが、ケネディ大統領が撃たれた瞬間を確認すると前方から射撃を受けている。
- オズワルドの両手から硝煙反応が確認されたが、ライフルで射撃を行う際に確認されるはずの頬からは硝煙反応が出なかった。
- 暗殺事件直後、オズワルドは自身がいたビル内から逃亡せず、食道で食事をとっていた。また、そのビル内の食堂とオズワルドが射撃を行ったと推測される部屋を繋ぐ階段には女性が2人いたが、彼女たちはオズワルドの姿を確認していないと証言した。
- 事件当時、自身をオズワルドと名乗る人物が複数いた。
などがあります。
このことから、ケネディ大統領暗殺事件はオズワルドの単独犯ではなく、何らかの陰謀があったと考える人が多い事件です。最近アメリカで行われた世論調査でも、ケネディ大統領暗殺事件はオズワルドの単独犯であると考える人は過半数にさえ届いていませんでした。
20世紀に残された謎の中でも特に注目度の高いこの出来事。そんなケネディ大統領暗殺事件の全貌が、2017年の今年末に明らかにされるかもしれないというニュースが伝えられています。
1963年11月22日に起きたケネディ大統領暗殺事件後に組織された調査委員会の調査報告書の内、これまで公開されてこなかったものが、2017年10月26日に公開されることが決まった。
これらの機密情報に関しては、当初は2029年に機密解除される予定となっていましたが、1991年にオリバー・ストーン監督による映画「JFK」が公開され改めてJFK暗殺陰謀説に火が付いたことにより、翌年1992年に特例法「President John F. Kennedy Assassination Records Collection Act of 1992」が制定されることで、1992年から25年後の2017年に機密情報の公開が行われるように情報公開のスケジュールが前倒しとなっていましました。
公開が予定されているのは、調査委員会の調査報告書の内、国家機密指定によりこれまで公開差止めなっていた約3000ページ分の資料となる(既に34000ページ分は公開済み)。
business newsline「ケネディ大統領暗殺事件極秘ファイル、いよいよ2017年10月26日に公開」
この記事によると、今年の10月26日にケネディ大統領暗殺事件の調査委員会の調査報告書が全文公開されるとのこと。公開される予定のページには、FBIの初代長官であるジョン・エドガー・フーバーや、ジャクリーン・ケネディ夫人など、この事件にかかわる様々な人物への証言も含まれているようです。